虹色プライヴェイトflavor

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精神が女児な人の備忘録

2021年の水瀬伊織に必要なこと

アズレンコラボ記念、これを機に水瀬伊織の深淵を少しでも知ってほしいと思い筆を取りました。

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アズールレーン×765ASのコラボ本当に大変だけど本当に嬉しいので、この記事はその記念となるものになるといいですね。
この一週間近くでガッツリやってしまった。
MA4も素晴らしかったし、ミリオン新盤での新規ソロ曲も決まったし、765AS組はすっかりメインストリームを退いたと思い込んでいたのに昨今の供給の多さは本当にありがたいという言葉しかないです。
なおレベル足りなくて全然クリアできない模様。

タイトルにそこまで意味はありませんが、意味はあります。
MA4の記事でその趣旨は概ね語り尽くしたのでそちらを読んでください。
https://aib-parfait.hateblo.jp/entry/2021/06/16/232729

(最初に断っておくと、過去に同担の箱主義者と相容れなかったことの嫌味や皮肉も少し含まれています)


参考記事:https://ddnavi.com/interview/796335/a/

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ある種、人寂しい子供に近い性格で描かれていた昔の水瀬伊織を知ってほしいと主張する権利があるのなら、
誰かに見られること・誰かの上に立つことの責任を抱いて強い自分を見せようとする、今の水瀬伊織を知って欲しいと主張する権利はある。
なので私は今の水瀬伊織を庇護し続けようと思う。

14伊織が王の器なら15伊織は王そのものみたいに思ってるので、遊戯王で例えるなら表遊戯とアテムぐらい違うし、初期十代とユベル十代ぐらい違うし、なんならある意味で1st伊織の性格のまま大人になるみたいなことやってるのが劇場版DSoDだ。

王っていうと器の方が劣っているのかと思われそうだけどそういう意味ではなく、ドーマ編や2EXエピソードを見ると分かるけど、なんなら2nd以降の水瀬伊織と闇遊戯では器以上に幼稚だったり脆かったりする点があるのも似ている。(遊戯王の例え合ってるのか不明)

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当時から10年もの年月を重ねた今見ると余計つらい。社会経験を経ると余計にこの葛藤が理解できる、共感できる。
  

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2nd以降の彼女が内心で抱く崇高なポリシーと冗長に欠けたセンチメンタルさは、ある意味で1stの彼女よりもアンバランスなものになっているように思う、しかしこれは大人になって味わう理不尽な苦悩を人よりも早く越えなければいけなかった、それは誰よりも大人になることを強いられて重荷を背負わされながらも誰にも弱みを吐くことが許されなかったことの裏返しなんだ。

誰かの期待という大きな責任を背負う大人になることを強いられた15歳の水瀬伊織という年頃の少女にはごくごく自然な反動であって、そういう経緯をきっちり汲むのならば、かんしゃくがひどくなったからと言って誰が彼女を責めてやれるだろうか。

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思うに、反抗的なキャラクターとして描かれている割には作中のPに対しては親身かつ等身大な反応をすることが多くて、trueエンドでは一緒に泣いて笑って欲しいと涙ながらに本音を吐露する場面があったかつての水瀬伊織(14)には、自分と同じ歩幅で共に歩んでくれる相手=作中のPが必要だった。

そして今の水瀬伊織(15)は、ステラステージにおける水瀬財閥のビューティーアンバサダーを兼任するという展開があったのと、まなマスで水瀬家という名の籠の鳥でいることをやめて孤独ではなく孤高に羽ばたく決意を固めたエピソード(本当に好き)があったのをひっくるめると、在り方が異なってくる。

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誰のものでもない自分になるために、誰かの期待という重責を担って、全世界を魅了するアイドル・水瀬伊織としての自分を演じることを全うするのだから、かつての1時空の自分のように等身大ではいられない。何も知らない少女には戻らない、高貴な誇りを胸に誰にも届かない高みを目指す。どうして誰も私のことを愛してくれないの?氷の中に閉じこもっていた私を、仲間の温もりが復活へと導いてくれた。でも頂点に立つためには再び孤独になる恐怖との戦いに瀕するかもしれない、それでも最高最強の景色を見るために先へ進む。この言葉は(勿論本来の発言主も素晴らしいけど)今の彼女自身を表すのにも相応しいし、自分の弱さを認め、情けなくても、皆にこの姿を見せつづけていくことが今の水瀬伊織の夢とも言えるのだろう。
やっぱり水瀬伊織は凄いと言わしめたい節が自分はある。

nico.ms

2nd以降の水瀬伊織を象徴する『DIAMOND』でも
「輝くために生まれた」「願いを願い 絶対全体 星や朝より照ってあげる」という歌詞がある、この曲こそ今の彼女のマインドを象徴するほぼ全てといっても過言ではないので、無限に愛せる。

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また、基本的に自分のために家の力に頼ることを良しとしなかった(1だとそうでもないですけど…)彼女がその権威を行使することを決意したのも注視すべきで、
自らを縛る枷としか思わなかった自分の出自と向き合い直して己がどうあるべきかを再考した結果、誰かに希望を与える立場であるアイドルとしての決意が誰かの上に立ち取りまとめる権力者としての矜持も併せ持ったものに昇華しているのが好き。

ゆえに、今の水瀬伊織(15)にとって、自分が誰でもない自分でいるために、誰よりも強い自分でいるために、誰かに希望を与える姿を演じ続ける、アイドルという一つの世界で、そんなヒロイックな自分になるのを見届けてほしい存在=器として、自分の承認欲求と自尊心を満たしてくれる相手(作中のP)が必要なのだと思う。
かつての水瀬伊織(14)が「私のそばにいて欲しい」なら、今の水瀬伊織(15)は兎角「私を認めて欲しい」その一点で前を見続ける、そんな女性だと思う。だから私は今の水瀬伊織が一番好き。


ついでに。
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nico.ms

「もし私が変わっちゃったと思うなら、それは貴方の見方が変わっただけ」「あなたの見たいように私を見ても構わない」と本人も言ってくれました。
その意味をよく考えた上で、どちらの水瀬伊織も好きになれるのが一番ですね。