虹色プライヴェイトflavor

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精神が女児な人の備忘録

プリチャン100話について

・お断り
この記事は私個人の見解と私情に過ぎないものであり、作品自体が不出来であると主張するものではありません。
堅実かつ明朗快活な作風を守りながらも、時にナイーブな心理的題材に対して真摯に向き合ったプリチャン2期は、むしろここまで本当によく頑張ったと思います。
泣いた回も一度や二度ではありません。確実に1週間で一番の楽しみだったと思う。

当然ながらネタバレ注意
YouTubeでプリチャン2期の全話無料配信が始まったので、全くの未見の方も是非…



プリチャン2期も残すところ2話。
自分の存在意義に苦悩して暴走していただいあが無事に元のだいあに戻り、大団円かと思いきや…という場面まで来ています。
だいあと向き合う為に歌った新曲も素晴らしかった。
…しかし、私はどうしても納得がいかないのです。
ここまで長いこと苦悩してきただいあが、その後みらいと虹ノ咲がかけた一言二言だけで絆されてよいのかと。


虹ノ咲に本物の友達ができていくにつれて、現実の世界でその子達と触れ合うことができない事を嘆くだいあに対して、みらいは「心で通じ合えるよ」と言った。
でも、心で通じあえると口先だけで言ったって、生まれた時から抱いていたその"虹ノ咲に勇気を与えたい"という心があったからこそ、だいあはその目的を果たして行くにつれて自分の存在価値がなくなっていくという二律背反に苦しんで、だいあに冷たく当たったりしてしまう今にたどり着いてしまったわけで。

「みんなと一緒にプリチャンしてきたじゃない」と虹ノ咲はいう。
これまでが積み重なってその黒くなってしまった"今"があるんだから、堂々巡りじゃん。そんなものは詭弁に過ぎない。

「だいあも一緒じゃなきゃ私の幸せは全部じゃない」とまで言われても、例の絵本を受けて感謝を乗せた新しい曲を届けても尚、『現実世界で触れ合うことはできない』…すなわちこの先も虹ノ咲と全く同じ幸せを享受することはできないと塞ぎこむぐらい根の深い苦悩に対して、そういった詭弁というか暖かい口実で済ませて欲しくなかったと思う。

確かに普段から取り止めのない会話や距離感にも"らしさ"があったりどこか良い意味で"軽い"部分があったりするのがプリチャンの美点だったけど、ここまで根の深い負の感情を長々と積み重ねてきた相手に対してまで、"あしらう"ような形で締め括って欲しくなかったよ。

心は通じ合ってるといったって、立場は平等じゃないことが解決するわけじゃない。
自分の存在に意味がないと苦しむ相手に対して、結果論にも近いありがちな励ましでなあなあに納めたところで、結局は遅かれ早かれだいあはまた同じ苛立ちを抱いて苦しむ時が来るんじゃないかと、思えてしまってならないの。
人間と変わらない存在として接しているのなら尚更のこと。


だからあの場面でこそ二人には、だいあにしか出来ないこと、いわばだいあだけのアイデンティティを提示してほしかった。
だいあが虹ノ咲に手を差し伸べたように、次は虹ノ咲がだいあに(もっと)手を差し伸べる番だったはず。
みらいは虹ノ咲の手を引いてくれたけど…(悪い言い方をするとマジで至れり尽くせりすぎんかこの子?)
虹ノ咲は自分の行いを反省するようなことしか出来てないし、そもそも以前自分が抱いた疎外感に近い感情へ逆に自分が追いやってることにも気づかないぐらいだから出来ないんだろうけど、それにしたって、もっとこう……
だからこそ、口先だけではなくてもっと明確な形で"居場所"を作ってあげるような結末にしてくれた方が良かったように思う。



虹ノ咲だけでなくもっと誰かの力になる為にプリチャンを彩り続ける、だいあはそんな自分に芽生えた本当の願いに従って生きていく為に虹ノ咲の元を巣立つとか、そんなヒーロー文脈に乗せてもいい。
ぶっちゃけだいあには、虹ノ咲さんに囚われない生き方を見つけてほしい。人間として、だいあとして。
まあ3期でそういった部分にも踏み込むかもしれませんし…(プリパラ2期の時もらぁらの思想に対する紫京院の理解は保留みたいな形になったし…)
もしフォローなかったら本当にこの回はただなんとか宥めただけって悪印象になっちゃうかもしれない。

この2年やってきたプリチャンの作風的にはそれでもいいのかもしれんけど、自分はそれじゃだいあが本当の意味で報われんから嫌なのよ。